2008年6月22日 (日)

声楽をやり直すことにした。50の手習いである。

 大高イオンのシマムラ楽器へギターの弦を張替えに持っていったとき,

 声楽 と ヴォーカル の 無料お試し教室があることを知った。

 そこで 両方受けることにした。

 最初は,声楽。てっきり男の先生だと思っていたら,あれまチョーーー(byパピオン)美人のとても素敵な若々しい女性ではないですか!

 実は,早くイオンについたこともあって,また,ちと気恥ずかしくもあって,バーでジントニック一杯引っ掛けていたんだけど,そうでなかったら本当に赤面してしまうほどの素敵なお嬢さんだった。

 で,先生も最初は「どうしましょう。こんなおじいさん。」と当惑した感じだったんだが,それはそれ昔取った杵付き。ちょっといじってもらうとさびつた声もあれよあれよと再生。ちゃんと喉が開いて,ベルカントに一歩前進。

 ちなみに,翌日起きたときまでのどが開いていて,声の通りがめちゃくちゃいい。ちょいと響かせてみると,どうも倍音でてる。息子に確認させると「お父ちゃん,高い音と低い音が聞こえる。」ですと。

 いやああああ,プロの指導はすごいねーー。

 で,翌日ヴォーカルのお試し。こちらもかわいらしい溌剌としたお嬢さん。あれこれ発声やって,最後はアカペラで,ハウンドドッグの ff(フォルテッィモ)を熱唱すると,先生呆れ顔で「大変楽しく歌っていらっしゃるのでいいとおもいますよ。」ですと。

 ということで,声楽を1年習うことになった。結構お金はかかるが,なにパチンコなら30分でなくなる程度の金だ。

 これで,週一回30分。あの美しい先生と二人っきりでモジョモジョするんである。

 一気に生きる希望がわいてきた。早くこいこい7月7月。

 復職後,月曜日は絶対に4:30 退社 である!

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2008年6月11日 (水)

戦いの第二部が始まった 当面の敵は校長 そして最終標的は教育委員長

 教育委員会から 不服申し立てに対する弁明書が届いた。

 過去,終息を宣言してもいいと書いたが撤回する。

 戦いの第二部のスタートだ。

 当面の主敵は校長 「この偽善者め!」 by パピオン@武装錬金

 そして,ラスボスは 教育委員長!

 そこまで到達するまでに矢尽き刀折れるかもしれないが,

肉を切らせ,骨を絶つ!

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2008年5月16日 (金)

小学6年生の卒業文集が出てきた ついでに 院生の時に,学園誌に掲載された書評も

 昔書いた文章というのは,読み返すとずいぶん恥ずかしいものだが,究極の恥ずかしさの極み。大掃除をしていたら,小学6年生の時の(学級)卒業文集が出てきた!なんと学級の生徒の文の先頭に掲載されている。

 まあ,運動会について書いてあるのが私一人だったこともあるが,ちょっと先生の心をくすぐる文章が入っていたりして,狙って書いていたとしたらとんでもなくやらしいやつだね。オレ。

 と同時に,何と大学院2年のときに,学園誌に「書評」を書いていた。こちらは,ちゃんと活字印刷物として,発刊されていて,感謝の礼状も入っていた。これ,まったく記憶がないんだが,忙しかった時期によくこんなもの引き受けたものだ。

 12年間で,どのように変容するか見てみよう。

 「小学校最後の運動会」

 長かった小学校生活で一番印象深くのこっているのが秋の体育学習発表会です。

 ぼくたち六年一組の男子は器具係なので朝早く学級にいってうちあわせをした。

 空はすこしくもっていたけれどその日一日はもつようでした。

 うちあわせがすみ器具をはこびだす作業をはじめだすとぼくたちのほかの子もぼつぼつとあらわれてきました。

 やがて開会式,国旗けいようです。

 そのころぼくは書記だったので国旗けいようの役をやらせてもらいました。国旗をあげている間,なんだか自分がとてもえらくなったような感じがしました。

 えんぎにうつってからものすごくいそがしくなって開会式のときははだざむかったのがとてもあつくなりました。

 マット運動や鉄ぼうなどのえんぎがすみ,いよいよ5・6年による騎馬戦です。

 巨人の星の音楽をバックに入場。

 たいこの合図で第一合戦。てきみかた入りみだれて戦う。ぼくたちは四騎ぐらいたおした。またドーンとたいこの合図でもとにもどる。

 するとぼくたちのほうがいきのこっている騎馬が少しすくなかった。

 こんどは最後の戦い。ドンとたいこがなる。ワーとかん声がわいて,てきの大将がこちらの旗めがけてとびかかってきた。ぼくはかたのいたいのもわすれてひっしにがんばった。上にのっている子がてきの大将をのぼらせまいとひっぱっている。そうして乱戦しているときてきの旗のところでかん声がわいた。ふりかえって見るとちょうど○○君が旗をとろうとしているところだった。

 パーンとピストルの音がして全員せい列。

 先生が「赤。」といって赤の旗をあげた。「ワー。」と赤の子がさけぶ。ぼくもうれしくてうれしくてしかたなかった。

 しかし,そうしている間に天気のほうはだんだんとくずれだし午前の部がおわり,午後の部に入るととうとう雨がふりだした。それもはじめのうちはよわかったが午後の部の中ほどになるとザーと強くふりだした。それなのにえんぎをつづけることになった。でもこれ以上器具をぬらすと大変なので器具をつかってやるえんぎは中止になり町別リレーと学級対こうだけをやることになった。だが雨でトラックがびしょびしょになってすべるので砂場の砂を運ぶことになった。もうぼくたちは服の下までびしょぬれになっていたがいっしょうけんめい砂を運んだ。どろがはねて服はどろどろになるし走りまわるのであせがたきのように流れた。中にはころんでべたべたになった子もいる。でもみんな口一ついわずいっしょうけんめいにはこんだ。

 砂をはこんでいるあい間にふと テントの方を見ると校長先生がテントの中から外にでられて見ていらした。子どものことをおもってわざと外へでられたのだな,と思うとぼくたちの校長先生をじまんしたくなった

 やがてえんぎがおわり教室へもどった。みんな口々に「校長先生なんで雨がふってきたときにやめなかったんだろう。」とか「もっとはやく中止にすればよかったのに。」とかいっていた。ぼくもそういっていた一人だけど今思うとやっぱりやってよかったなと思う。

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 こら,もう少し漢字を使わんかい。句点が少なすぎるぞ。と思うものの,なんと文体の骨格は今とまったく変わっていない。

 とうことは,38年間進歩がないというべきか,この時期に人個々の文体はおおむね形成完了するのか,まあ自分は前者なんだろうなあ。が,一応起承転結はおさえているじゃない。 

 下線部はいま入れたんだが,ここらが良く見ているというかいやらしいというか・・・今の汚れきった教員としての自分なら「校長!おみゃーも一緒に外でて砂運ばんかい!」とどなるところだが,純真だったのねえ。

 あとの生徒は,やはり修学旅行(この年大阪万博があり,なんと奈良京都を1日で回り,次の日は万博だったのだ。なぜかアメリカ館ではなく,ソ連館を主に見学した。○共の先生がいたのかな。首には迷子防止&識別用に黄色のスカーフを巻いて,まるでコルフォーズのこどものよう。で,長い長い行列の後ろにならんだが,「先に行きなさい。」とずいぶん多くの方々が前に行かせてくれて,結局1時間以内に入館できた記憶がある。よき日本人のじだいだな。)

 それから,中津川の野外学習 が多い。あとは担任のせんせいについて,クラブ活動,分団長,友達などの順だ。多くはファックス原紙(今の人はしらんわなあ。4mm四方だぞ。)1ページ。私と数名が2ページ書いている。文章が冗長になるのもかわっとらんなあ。

 好きだった山口さんの,担任について書いた文。文字もきれいだなあ。6年最初の学級写真ではぼくの隣に写っているんだな。どうしてるだろうか。   遠い目・・・

 最高に笑えるのが,最後の「寄せ書き」

 書いてある言葉が,「前進!」

 これ,昨年の卒業生に向けてのはなむけの言葉として書いたものとまったく同じ。

 やっぱ成長しとらん,この38年。

 長くなったので,書評は明日にでも。

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2008年5月11日 (日)

名古屋地学会 南極の片麻岩

 実は,勤務校に「南極の石」と言い伝えのある,10Kg近い岩塊がある。

 含ざくろ石片麻岩であることは一目瞭然だが,本当に南極の石かいなかは定かでない。いつも第2理科室に展示し,いつでも生徒がさわれるようにはしてあるのだが,変成岩はカリキュラムからはずれているので,特にコメントなどいれずに放置してあった。

 しかし,後10ヶ月で本校を去ることになるので,どうしても真偽のほどを知りたく,では,我が大将にお出ましいただくしかない,と4月に,かれこれ23年ぶりにお電話した。

 元愛知教育大学学長 仲井豊先生が私の大将であります。岩石学の大家にして,第19次日本南極地域観測隊隊員(1977)でもあられるのです。

 すると,今日行われる名古屋地学会に持ってきてくださいとのこと。ただし場所や開始時刻などは不明とのこと。そこで,旧友の某小学校教頭 Y氏に,場所と時間を聞く。

 「入れ。」 ご命令であります。はいはい あんたの命令となればいやおうなしですわね。

 で,10kgにもなろうという岩石をゴロゴロに載せて,名大内をえっちらおっちら。もう迷路状態で,途中学生さんやら図書館員さんに場所を尋ねつつ,やっと会場に到着。結構時間のゆとりを持ってでてきたつもりが,開会前20分だった。Y氏 H氏 としばし 話をし,入会の手続き。お,なつかしい重人先生もお見えだ。相変わらずかくしゃくとしていらっしゃる。

 しばらくして,仲井先生がいらっしゃった。仲井研院生第1号にして,教育大院生で採用試験不合格第1号の私を,付属高校講師として紹介いただき,もぐりの学生を1年やらせていただいて,院生から数えて2年あまり,3千万円の分析器を使わせていただいてから,はや25年もたとうとしている。

 就職前に,「ぜひペーパーを出しなさい。」と薦められながらも,能力の低さゆえ,日々の授業準備や部活にかまけて,結局出せずじまいだったことは未だに慙愧の念に耐えない。

 先生は,当時とぜんぜん変わらないご様子。こちらは総白髪なのに。

 で,問題の岩塊を見ていただく。

 「まず,間違いないでしょう。昭和基地周辺に見られる片麻岩と同様です。」とのことでした。お話によると,表面の凹凸は,風食によるもので,氷河によって運ばれたものではなく,地表面に露出していた露頭から取り出したものでしょう。第40次隊までは,基地周辺に,岩石を「お土産」として取り出してよいとされる場所が設定してあったが,41次から原則科学調査以外の目的での持ち出しは禁止になったそうです。

 うん,これはかなりのお宝ではないか。この10年あまりつっかえていた喉にささった骨が外れた気分である。

 その後,総会,こちらは今日再加入なので,聞くだけ。

 研究発表は4本

 1本目は,高校生の発表予定だったが,その高校は今大変なことになっていたので,指導された先生が代理発表

 2本目は,シリア・ユーフラテス河中中流域の地質

 厳密に言えば地質は専門ではないが,一応基本は学部時代に学んでいるので,十分理解できる。三つ子の魂百までもだな。

 とりわけ興味を持ったのは,アスファルトの存在。自噴した後だとするならば,地下にかなりの埋蔵量の原油がある可能性はないだろうか。シリアは石油の産出が少ないとのことだったが,探鉱が十分でないのかもしれない。

 3本目は環境・太陽光発電について

 おっと,どこからかいびきが聞こえるぞ。

 でも,こんなことを思った。

 ① 太平洋上に,数km四方のメガフロートを浮かべ,フロート上には,太陽電池をずらっと並べる。風力発電用のペラも。でフロート下には,カゴを多数配置し,中にはカキなどの炭素固定生物を入れる。その上,フロートの底には,白色発光ダイオードを並べる。

 あとは,発電した電力の一部を,フロート下部のダイオードに通電し,発光させ,カキの成長にあてる。

 これで,発電・CO2の固定・食料としてのカキの生産。

 一挙3得である。メガフロートは,技術的には実用段階にあるそうなので,結構いけるんじゃないか。国土の狭い日本でも,これで面積を稼ぐことが出来る。

 あと,都会の高層ビルの側面に,小型発電機を縦に並べる。高層ビルの間には,かなり強いビル風が恒常的に吹いている,このいわゆるビル風を利用するのだ。

 などと妄想

 最後に,鈴木重人先生の 鉱物内の水について

 もう,大爆笑である。32年も前に,先生の鉱物学の講義を聞いた当時とまったく変わらず,豪放磊落。しかして,ポイントは外さず。粘土鉱物は,水の有無・量比によって,異なる鉱物になるわけだが,採集・保管する場合は,十分にそれを配慮しなければならないというお話。学者が陥りやすい罠だな。花崗岩の歌,物にしよう。

 そうそう鉱物学といえば,当時重人先生の講義は,一般的な造岩鉱物の光学特性から,ルチルに渡って,半期行われた。

 で,そのテスト。しっかり復習し,鉱物学の教科書もよく読みなおし,これでばっちりと臨んだ,そのテストのお題は「氷砂糖の光学特性を記せ。」

 えええええそりゃないよ。氷砂糖って造岩鉱物じゃないし,15時間の講義の中で,5分程度ちらっとお話されただけじゃない。

 と,いっても後の祭り。「氷砂糖はさておき,ルチルは・・・・」と書き出して,悪あがきをしてみた。結果は見事なCだ。

 前の方の席でカンニングしていたやつもいたが,中のよかった同級生のほとんどが撃沈された。「授業は,集中してどんな小さなことも吸収せよ。」ということを学んだ一撃だった。この講義とテストを一年のときに受けたことは,その後に大変役立っている。

 会が終わり,皆さんニ次会へ。自分は息子が待っているので,後ろ髪引かれながらも帰宅の途へ。重い石をゴロゴロ運び,沢先生の案内で名大を出た。沢先生もあと2年で退官。月日の流れは早いものだ。今度,大学の40cm反射望遠鏡を使った観望会に来たらとお誘いを受けた。息子とともにぜひ出かけてみよう。

 南極の石を見てみたいと思う方,ありましたらメールください。

 現物は学校にありますので,案内します。手にとってなめてもらってもかまいませんよ(^_^.)

  あと気になったのが,現役の学生や若手研究者らしき人がほとんどいなかったこと。現役の小中教師は忙しいからしかたないと思うが,自分が学部・院生時にここに所属していたときは,もう少し若い人がいたように思うのだが。

 数人,先生の引率で高校生が来ていたが,寂しい限りである。やっぱ地学は斜陽なのかな。まだまだ分かってないこといっぱいあるし,化学や物理のように,莫大な資金や高価な装置なしでも,いっぱい新たな発見ができるだろうに。何せ「気力体力地質学」だもの。

 次回は,蔵書リストを持って参上し,高校生に学術書を押し付けてみよう。結局,大学図書館・緑図書館からは断られ,豊橋自然史博物館・鳳来寺科学博物館からは「検討します。」の返事以来なしのつぶて。

 結局,連絡がついたのは,5月5日に「第四紀」と「日本列島断層図」を寄贈した中津川鉱物博物館だけだった。

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2008年5月10日 (土)

御在所岳 中津川鉱物博物館 八曾釣り場 おちゃらけ料理番組(ニコ動)

 ひさしぶりだなあ。

 連休中は,2月4日に,母と息子を連れて,御在所岳へ。ここのロープウェー,昔は多人数乗りだったが,8人程度乗りに変わっている。

 前回は,嫁さんとの初デートだったから11年前か。このときどうだったか記憶がない。

 学生時代に一人でここのスキー場に来て,3時ごろ雲海に包まれてしまい,リフトのガラガラ音は聞こえど,方角がまったく分からず,完全にホワイトアウト状態になりめちゃあせった記憶がある。

 山頂付近のレストランで昼食。季節限定弁当・シカ肉の刺身(ルイベ)・しし肉のほう場味噌など食べる。うみゃー。この手の観光地としては良心的な値段だった。

 昼過ぎに雲が厚くなってきたので早めに下山。3時半には山腹駐車場についたが,まだこれから上がってくる車がたくさんいた。この時期,午後からなぞ自殺行為である。この日,朝8:00に実家宅を出発し,四日市インターで降りる予定が,四日市東インター直前まで渋滞が伸びていたので,急遽四日市東インターでおり,ちょっと迷いながら御在所岳駐車場に着いたのが11:00近かった。

 帰りは,どうせ上道は混むだろうと思い,1号線をのんびりドライブ。母や息子にあれこれレクチャーしながら帰り,なつかしの6番町5番町あたりをうろついていたら,6:30ごろ実家。これから料理を作る気もせず,外食とした。

 5月5日は予想通り雨。滞っていた部屋の片付けやアイロンがけで一日過ごす。

 5月5日は,中津川鉱物博物館へ,かねて連絡してあった蔵書の寄贈と石割体験に。伊勢湾岸道路・東海環状・中央道いずれも比較的快適に走れ,9:30に到着。

 ちゃんと入場券を買った上で,蔵書を寄贈。お礼に絵葉書をいただき虚萎縮する。内部の展示物は,小さな博物館ながらとても充実していた。

 11:00に水晶彫り体験があったので,移動。結構大雨だったが,屋根つきの体験場で,息子が水晶堀にせいを出す。「大きさより晶形のいいものを探せ。」と指令を出す。砂の中に埋まっているのだが,カリ長石が多く,結構難しいようだ。親子集めてざっと40人ほどがチャレンジしていた。ある奥さんは直径3センチほどの煙水晶を掘り当てていた。うらやます。

 その間,ボランティアで講師として見えていた,近年退職された中学理科の先生とお話をする。岐大で,鍾乳洞やってたそうで話が弾む。

 自分はロックまがい,シャワークライムまがいはやったけど,ケービングは未体験。ザイルつたって降りて,その下20メートル空洞だったこともあるとお聞きし,「あひゃーー。」である。

 学校からルーペを借りていたので,3~4人の子供さんや親さんの掘り出した結晶を鑑定するミニボランティアをする。さすがに水晶ぐらいは分かります。

 坊主は,結構晶形のいい長径8mm直径1mmぐらいの再び,館内へ。

 一つ一つの鉱物を丹念に観ながら,親子連れや女子高校生に勝手にレクチャーする。親子連れには不気味がられたようだが,高校生2人組のうちのかわい子ちゃんは,よく聞いてくれた。自分たちでこんな田舎の博物館に勉強にくるなんてえらいぞ。

 12:30ごろ,石割体験場へ。タバコを吸えるところがここだったので,早めに移動して一服。お,苗木花崗岩がごろごろと。晶洞の入った岩塊があったので,ルーペでのぞくと,カリ長石のかなりみごとな自形結晶(長径1cmほど)が入っている,ほしーーーーーーー。

と観ていると,石屋さん(本物の石材店のだんなさん)に声をかけられ,しばし歓談。あとで知ったがナカネさんとおっしゃるあそうだ。苗木花崗岩のこと,ここでの体験学習についてのこと(ボランティアだそうだ。)。最近では石材の掘り出しも困難な状況になったこと。中国地方(日本の)の石材村に中国人留学生を入れて研修させたら,数年後,中国から大量に安い石材が入るようになり,結局その石材村はすべての石材店が廃業したなどとお聞きする。よくあるパターンですね。なんと近年では戒名まで入れて送ってくるそうな。

 息子さんが削岩機で岩塊に穴を開け,のみを入れ,小型ゲンノウで一回ずつ叩き,割れた子は持ち帰ることができるというもの。このときにはすでに50人ぐらいの人が集まっていた。

 当然1発目で割れることはない(ドカチンつかえば別だが)が,子供たちも大人もわいわいキャーキャーいいながら,楽しんでいた。ちなみに,石材は全家庭分は十分用意されていた。

 坊主も,4回ほどチャレンジして,4kgほどの塊をいただいてきた。坊主がやれやれというので,しかたなく初手を。一発目はずれたらしい。(なんせゲンノウは柄が短いので感覚が狂う。2発目はちゃんと当てた。が当然割れず。)

 反対側の長石捨て場で見ていたら,先ほどの晶洞入りの岩塊を抱えた奥さんが,ナカネさんたちに「もう少し小さくなりませんか。」と聞いている。

 「やってみましょう。」と,足場組んで,持って入った1.5kgハンマーで叩く。3発目で見事真っ二つに。「ありがとうございました。」って。やっぱ晶洞入りの方を持って帰るのね(*^_^*)

 武節花崗岩の青石(細粒黒雲母花崗岩)に比べると,かなりやわらかい。

 「ルーペありましたらどうぞ。」と皆さんに声をかけてあったんだが一人も希望者がなく,ちょっとへこむ。

 ナカネさん・館の受付のきれいなおねーさんに挨拶し,2:00ごろ退散。秋,紅葉の頃にまた来てみよう。村(今は中津川市か)は,車も少なく,いい感じの山村だった。コンビニで弁当を買って遅い昼食を食べる。

 晴れていれば自分のフィールドへ帰りによって,野帳の書き方やスケッチ,走向傾斜の計り方などを教えようと思ったが,本降りなので,息子の希望した釣堀へということで,犬山の八曾へ。バカカーナビのために大回りをすることになり,ひさびさに鬼走り。かれこれ20年ぶりか。マニュアルでないし,車重のでかいMPVなれど,Sレンジ使うと結構いい吹き上がり。4000回転なんて購入以来まわしたことなかったけど,いいねえ。

 直線路でベタ踏み。最高○○○Kmまで吹き上がった。へへへ。暴走族だね。でも周りに車のないところでです。久々にスカッとした。

 八曾の釣堀は,イワナ・アマゴもいるんだが,いかんせん到着が4:00。息子の借りた竹ざおで2回ほどあたりを出したがばらした。

 結局5時終了時刻になっても息子はニジマスも一匹もつれず。みかねたおかみさんが,ブドウ虫つけてくれて,やっとこさ1匹ゲット。

 やっぱニジマスの超大物を確実に釣るなら醒ヶ井であろう。5:30に帰路に着く。

 途中,鬼走りの高揚感が残っていたため,名古屋市内に入っても,ちとばりばりしちゃった。6:30には帰宅。息子は今日のニジマス,自分は先日干物にしておいたアジを焼いて食べる。

 昨日・今日とあまりに暇なので,黒鯛・ハマチをさばくところをデジカメの動画で撮影し,2.5倍速に編集して5分にし,ニコ動へアップロード。黒鯛の方は,下に敷いた新聞に注目されちゃったので,ハマチの方は新聞なしで。倍速かけると結構ウマいように見えるから笑える。

 ハマチ編は1日で300アクセスまでいっちゃった。お笑いである。

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2008年5月 3日 (土)

チューリップ 桜の季節

 ニコ動で,チューリップを検索してみた。

 青春の光と影 虹とスニーカーの頃 など 懐かしいーーーー。

 桜の季節 初音ミク オリジナル を クレアさんが歌ったものにかぶせて勝手にデュエット作ってみた。 昔は,下のAから上のG#まで結構出せたのに,酒とタバコの日々で,音域の狭いこと狭いこと。せいぜいFまでか。

年はとりたくないものだ。

http://hero-0.cocolog-nifty.com/blog/files/sakuranokisetsu.mp3

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財津和夫と小田和正のコラボ 魔法の黄色い靴

 ニコ動で,これを発見。オーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 コメント入れまくりだ。

 チューリップのこの曲を始めて耳にしたのが,愛知県体育館。当時中学2年生の俺たちバスケ仲間は,アンタカのイラスト入りスポーツタオル持って,実業団の試合(確か新日鉄VS鋼管だったと思う。)を観にいった。

アンタカさんにサインもらったのも確かこのとき。

 そのとき,試合前の会場で流れていたのがこの曲。「なんじゃこの心地よいメロデーは!」と思って調べてみたら,それがチューリップ。1972年だ。

 チューリップは「心の旅」ほか2~3枚ほどアルバムを買った。以後自分はシカゴ~プログレへと移っていった。チューリップは妹へ受け継がれて,彼女確かファンクラブにも入っていたと思う。

 当時は,フォーク全盛時代。自分の最も古い記憶は小学生時代にテレビで見たフォークルセイダーズの「帰ってきたヨッッパライ  悲しくてやりきれない  青年は荒野をめざす イムジン河(これは放送禁止だったか)」

 帰ってきたヨッパライが1967年ということは小学校5年。「青年は荒野をめざす」が,昭和48年だから,高1だな。

 井上陽水の「人生が二度あれば」で仰天してアルバム買ったのが,1972年,中2のときか。「氷の世界」まではついていけたがそれからはしばらく離れた。

 大学時代は,好きになった女の子がオフコースのファンだったこともあり,どっぷり。当然,現在までの小田和正につながるわけだ。就職後は,巽悟狼および「ロア」のマスターの影響で,つい5年ほど前までハウンドドッグに走っていたが。

 あとは,お決まりのかぐや姫。そうそう,「赤ちょうちん」やら「神田川」。高校のとき,映画も見に行った。結構衝撃的だったよ。秋吉久美子が鶏を武者ぶり食うシーン。ま,あの見事なヌードも当然だが。この映画1974年なので高2のときか。

 こうしてみると,我ながら結構今の小中高生とは,精神的発達段階が異なるなあ。

 自分が特異なのかとも思うが,巽悟狼などは高校時代に日活ロマンポルノほとんどみてたらしいからな(これ,いやらしいってのも多分にあるけど,それだけじゃないよ。当時の日活ロマンポルノは,エロティックなシーンを入れればかなり自由に監督の自己表現を実現できたから,かなり社会的な問題提起や実験的な映像表現もあった。岡本麗田中真理宮下順子谷ナオミ東てる美泉じゅん美保純高倉美貴などみんなこれに出演している。

 まあ,まじめなよい子の私は,高校時代には2本ほどしか見ていないが。(結構どきどきものだったよ。))

 中学校で転校し,鳴子台中学に入ったら,英語の映画を原語で理解できたなんて吹聴している奴もいたしな。

 前も書いたかもしれないけど,五味川純平の「戦争と人間」は,中学卒業時,高校入学前の間に全編読んだし。高校時代に樺美智子の「人しれず微笑まん」読んでるし。庄治薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」1969年は,芥川賞受賞時に買って読んで,その後のシリーズも読んでる。なんと小学5年生のときではないか。

 当然,五木寛之の「青春の門」は,自立編あたりから文庫本の発売を待って読んでいるので,中学~高校時代だよな。

 安田講堂事件が1969年。小5の時。浅間山荘事件が,1972年。中2の時。

 大学入試で同志社行ったときは,中核か核マルかブントか民青かしらないが,入試中にもかかわらず拡声器でわめいていたし,母校だって入学前年にはロックアウトやったらしかったし。

 大学1年の時には,民青が「学内ストやりましょう。」と我が地学1年生の授業に呼びかけに来たとき,すでに共産主義の欺瞞に気づいていた我々はコテンパンに論破して撃退してやったけど。

 ただのマセガキだったのかなあ。

 それでも,自分たちより上の世代。(全共闘世代)に比べれば,物を知らん,幼稚だと思ったものだが。さらに,明治・大正期の旧制高校の人々に比べれば,足元にも及ばないと思ったが。

  教員になってからの,生徒の生態をみると,あきらかに幼稚化しているというか精神的に未発達の状態で「大人」になる人間が増えている。今の中三で,やっとこさ20年前の小4~5程度の精神的成熟度だ。肉体的には発達は早いが。

 今,公立高校を中高一貫化したり,塾と連携して補習をしたりする動きがある。

 でも,これって,根本的な人間の成長につながるのかね。ただの受験のテクニックの伝授じゃないのか?オレだったら,なんでもいい,中学校時代に週2冊3年間で300冊。高校時代に週4~5冊3年間で600冊以上の読書をノルマとして,あとは自由にするけどな。

 それで,おのずと自分の読むべき本が見つかり,人生の指針も見つけられ,なすべきことも発見できると思うが。そうして生まれたモチベーションは自立的なものだから生涯の道しるべとなろうに。

   

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2008年4月27日 (日)

桜の季節 -秒速5センチメートルに触発されて-

 結局 大画面(とはいっても32インチだけど)秒速5センチメートルをレンタルしてきた。

 3回見て,毎回泣いた。

 これを見て泣けるだけ,まだ自分の中に純なところがあるんだろう。

 一話から三話まで,微妙に違っている。ニコ動では,二話に違和感を持つ人や三話で消化不良を訴える人がいる。

 でも自分は,この三話がそろって完結(実は完結してはいないんだが)していると思う。

 最近ネット上での書評(大抵若い人だと思うけど)など読むと,最後に白黒はっきりとした結末がないと不満とする人が多いように思う。でも,当然白黒はっきりしている物語もあっていいが,読み手の心とか価値観とか人生経験とか願望とかいろいろな要素によって異なる受け止め方の出来る小説や映画も面白いんだよ。

 そういう作品は,その作品にめぐり合ってから,年を重ねるごとに読み直し,観なおしてみると,そのたびに新たな感想や想いがわいて来るんだ。

 秒速 の 場合,若い学生さんには三話は消化不良と感じるかもしれない。でも,世俗にまみれた中年(初老)の男にとってはキリキリと胸を刺す痛みを感じるんだ。

 そしてそれが二話の物語によって,これはこれで悲恋ではあるのだけれど救いにもなっているんだな。

 だから,やはりこの 秒速 は どの1編もかけてはならないものなのだと思う。

 監督の新海さんのインタビューを観て,とても聡明で謙虚で誠実で,冷静だけれど内にはすごい熱い情熱を持っていることが伝わってきた。

 いまどきといっては失礼かもしれないが,こんな好青年が日本にはいるんだなあ。監督は否定していたけれど,やはり たかき にそれが投影されているように思う。

 うちの娘も,この物語に登場する二人のヒロインのように,沈思黙考できる,そしてひたむきに人を愛することの出来る子に育って欲しいな。

 中学・高校でこの作品にめぐり合えた幸運な諸君。よかったね。そして折々観直してみよう。そのとき,自分の心が反射して見えるはずだ。

 で,これに触発されて,PVなんぞを作ってしまった。

 曲は 初音ミクの「桜の季節」

 ニコ動にアップロードしてあるけど一応下のファイルでも見られるよ。

っと思ったが,アップロードエラーだ。

見てみたいという奇特な人はニコ動で「桜の季節」で検索してみてね。

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2008年4月24日 (木)

秒速5センチメートルを観て

 あえて映画に入れよう。

 これが上映さえていた頃は,病院の中だったので,前回の初音ミクがらみで検索していて,偶然「ニコ堂」で観る事になった。

 絶句    である。 そして 昨日の「初音ミク」の 夕日坂 や ハジメテノオト 同様,50男が滂沱の涙である。とても子供の前では観られない。

 人生って,何度か着替えをし,ボタンをかけかえることがあるのではないかと思う。それは,入学式や卒業式,進学就職,そして恋愛etc。

 中には,その都度きちんと着替えをし,正しくボタンをかけられる幸福な人もいる。先日「子供が生まれたから」と連絡があり,お祝いを持っていった教え子のYさんなど,よくも神はこの子にこれだけの幸運をもたらされた(当然本人の努力もあってだが)とうらやましくも思う人生を過ごす人もいる。

 翻って自分は・・・こと恋愛に関しては,ボタンのかけそこないばかりだったように思う。

 中学時代 同じバスケ部の子に好意を持った。まったく相手にされなかった。

 大学1年 僕に好意を持ってくれた同級生がいた。でも僕は幼稚すぎた。

 大学3年 僕に好意を持ってくれた他大学生がいた,でも僕は臆病すぎた。

 大学院1年 今度は勇気を出して,大学1年次の同級生に告白しようと思った。でもそのとき彼女は,別の人と結婚の契りを交わした後だった。

 教員になった。ほぼ12年。学校と自宅との往復で明け暮れた。

 教員になって13年目。見合いをして子供ができた。

 教員の生活もあと10年。今は息子と二人でシングルファーザーをしている。

 今,僕は小学4年生の息子に,「チャンスの前髪をつかめ。後ろ髪ははげてるぞ。」という格言をくどいぐらい言い聞かせている。

 かけちがったボタンはかけなおすことが出来る,でもかけようとしなかったボタンは永久にかけることはできないのだ。

今回の涙目度・・・☆☆☆☆☆☆☆

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2008年4月23日 (水)

ニコ堂 初音ミク オリジナルにはまる

 ニコ堂に登録したのは結構前だったけど,いつもはパスワード入力の必要のないYouTubeを見ることが多い。

 が,Vocaloid2を,うちの息子のたっての願いで(絶対使いこなせないとは思いつつも)購入したことをきっかけに,最近ニコ堂で,初音ミク オリジナルを見ている。

 まあ,すごい神職人のいることいること。

 私,未だに「さいたさいたちゅーりっぷのはなが」単音までしかできてません。(とっかかって3ヶ月。製作時間総計30分ほど)

 神職人にはとてもなれないまでも,1年かかっていいので1曲はものにしたいな。ちゃんと伴奏付でね。

 で,数ある名曲の中で,今最も「ぐっ。」と来るのがこれ。

http://www.youtube.com/v/jKNFJcChOpQ&hl=ja  

もう,50おじんがうるうるなのだ。おそるべし神職人。おそるべしVocaloid。

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