小学6年生の卒業文集が出てきた ついでに 院生の時に,学園誌に掲載された書評も
昔書いた文章というのは,読み返すとずいぶん恥ずかしいものだが,究極の恥ずかしさの極み。大掃除をしていたら,小学6年生の時の(学級)卒業文集が出てきた!なんと学級の生徒の文の先頭に掲載されている。
まあ,運動会について書いてあるのが私一人だったこともあるが,ちょっと先生の心をくすぐる文章が入っていたりして,狙って書いていたとしたらとんでもなくやらしいやつだね。オレ。
と同時に,何と大学院2年のときに,学園誌に「書評」を書いていた。こちらは,ちゃんと活字印刷物として,発刊されていて,感謝の礼状も入っていた。これ,まったく記憶がないんだが,忙しかった時期によくこんなもの引き受けたものだ。
12年間で,どのように変容するか見てみよう。
「小学校最後の運動会」
長かった小学校生活で一番印象深くのこっているのが秋の体育学習発表会です。
ぼくたち六年一組の男子は器具係なので朝早く学級にいってうちあわせをした。
空はすこしくもっていたけれどその日一日はもつようでした。
うちあわせがすみ器具をはこびだす作業をはじめだすとぼくたちのほかの子もぼつぼつとあらわれてきました。
やがて開会式,国旗けいようです。
そのころぼくは書記だったので国旗けいようの役をやらせてもらいました。国旗をあげている間,なんだか自分がとてもえらくなったような感じがしました。
えんぎにうつってからものすごくいそがしくなって開会式のときははだざむかったのがとてもあつくなりました。
マット運動や鉄ぼうなどのえんぎがすみ,いよいよ5・6年による騎馬戦です。
巨人の星の音楽をバックに入場。
たいこの合図で第一合戦。てきみかた入りみだれて戦う。ぼくたちは四騎ぐらいたおした。またドーンとたいこの合図でもとにもどる。
するとぼくたちのほうがいきのこっている騎馬が少しすくなかった。
こんどは最後の戦い。ドンとたいこがなる。ワーとかん声がわいて,てきの大将がこちらの旗めがけてとびかかってきた。ぼくはかたのいたいのもわすれてひっしにがんばった。上にのっている子がてきの大将をのぼらせまいとひっぱっている。そうして乱戦しているときてきの旗のところでかん声がわいた。ふりかえって見るとちょうど○○君が旗をとろうとしているところだった。
パーンとピストルの音がして全員せい列。
先生が「赤。」といって赤の旗をあげた。「ワー。」と赤の子がさけぶ。ぼくもうれしくてうれしくてしかたなかった。
しかし,そうしている間に天気のほうはだんだんとくずれだし午前の部がおわり,午後の部に入るととうとう雨がふりだした。それもはじめのうちはよわかったが午後の部の中ほどになるとザーと強くふりだした。それなのにえんぎをつづけることになった。でもこれ以上器具をぬらすと大変なので器具をつかってやるえんぎは中止になり町別リレーと学級対こうだけをやることになった。だが雨でトラックがびしょびしょになってすべるので砂場の砂を運ぶことになった。もうぼくたちは服の下までびしょぬれになっていたがいっしょうけんめい砂を運んだ。どろがはねて服はどろどろになるし走りまわるのであせがたきのように流れた。中にはころんでべたべたになった子もいる。でもみんな口一ついわずいっしょうけんめいにはこんだ。
砂をはこんでいるあい間にふと テントの方を見ると校長先生がテントの中から外にでられて見ていらした。子どものことをおもってわざと外へでられたのだな,と思うとぼくたちの校長先生をじまんしたくなった。
やがてえんぎがおわり教室へもどった。みんな口々に「校長先生なんで雨がふってきたときにやめなかったんだろう。」とか「もっとはやく中止にすればよかったのに。」とかいっていた。ぼくもそういっていた一人だけど今思うとやっぱりやってよかったなと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こら,もう少し漢字を使わんかい。句点が少なすぎるぞ。と思うものの,なんと文体の骨格は今とまったく変わっていない。
とうことは,38年間進歩がないというべきか,この時期に人個々の文体はおおむね形成完了するのか,まあ自分は前者なんだろうなあ。が,一応起承転結はおさえているじゃない。
下線部はいま入れたんだが,ここらが良く見ているというかいやらしいというか・・・今の汚れきった教員としての自分なら「校長!おみゃーも一緒に外でて砂運ばんかい!」とどなるところだが,純真だったのねえ。
あとの生徒は,やはり修学旅行(この年大阪万博があり,なんと奈良京都を1日で回り,次の日は万博だったのだ。なぜかアメリカ館ではなく,ソ連館を主に見学した。○共の先生がいたのかな。首には迷子防止&識別用に黄色のスカーフを巻いて,まるでコルフォーズのこどものよう。で,長い長い行列の後ろにならんだが,「先に行きなさい。」とずいぶん多くの方々が前に行かせてくれて,結局1時間以内に入館できた記憶がある。よき日本人のじだいだな。)
それから,中津川の野外学習 が多い。あとは担任のせんせいについて,クラブ活動,分団長,友達などの順だ。多くはファックス原紙(今の人はしらんわなあ。4mm四方だぞ。)1ページ。私と数名が2ページ書いている。文章が冗長になるのもかわっとらんなあ。
好きだった山口さんの,担任について書いた文。文字もきれいだなあ。6年最初の学級写真ではぼくの隣に写っているんだな。どうしてるだろうか。 遠い目・・・
最高に笑えるのが,最後の「寄せ書き」
書いてある言葉が,「前進!」
これ,昨年の卒業生に向けてのはなむけの言葉として書いたものとまったく同じ。
やっぱ成長しとらん,この38年。
長くなったので,書評は明日にでも。
